君と呼べない君を想う
千尋の谷を転がり落ちるように恋に落ちた編5
そして五日目、最終日。まずは蓮と涼介の三位決定戦が始まった。ここまで見てきて分かっているが、涼介は動きが大きく
派手さがあるがその分スキも生じやすい。蓮はそういうスキをキッチリ付くのが得意だから、タイプ相性で蓮の方が分がある。
じっさい涼介の誘いには乗らずに受け流してスキをつきカウンター気味に入った一撃が効いて、そこで勝負あった。蓮の勝ちが決まった。
……できるだけカルラの方を見ないで蓮と涼介の一戦に集中するようにしていたが、次はもうオレとカルラの対戦だ。今まで感じた事のない
プレッシャーを感じながら、カルラと向き合った。
試合開始。カルラの脚が、腕が、長い四肢が次々オレに襲い掛かってくるのを必死で凌ぎ、オレがカルラをとらえようとすると
スルリとかわされた。まるで四方八方からギロチンの刃が降り注ぎ、実体のない幽霊を捕まえようとしているようで、
ホラーハウスに迷い込んでしまった犠牲者のような気分になる。……ジェットコースターよりもっと怖いぞ、コレ。それでも何とか
耐え凌ぎ何とか一撃入れたいと繰り出した拳に、
……かすかにカルラの体が触れた。手ごたえはなかったハズ。なのに。
カルラの体はくたりと沈み込み、何が起こったのか分からないうちに、オレの勝ちが宣言された。
「……納得できない!」
思いっきり不満顔で蓮と涼介にそう言った。優勝賞金を貰い帰り支度を済ませてから食堂でコーヒーを飲みながらの事だ。
「だってあれ絶対カルラがわざと負けたんだよ!手ごたえなかったんだから!」
「そりゃそおーかもしんねーけど、でもオマエの勝ちってもう決まっちまったんだから、今更言ってもしょーがねーだろ」
「いいじゃん。カルラちゃんが勝ちを譲ってくれたんだから」
「良くない!カルラへの想いをかけてたオレの意気込みはどーすりゃいいんだよ!」
「おまえそんな事ブツブツ言ってんの?」
ふいに後ろからカルラが声をかけてきた。カルラも帰り支度を済ませているため、初日に見た黒いスーツ姿になっている。
オレの左隣にカルラが座った。
「オレの立場も考えてみろ。オーナー命令で潜り込んだもののクビを宣言されて、オレは勝っても負けてもどうでもいいわけで、
まあウサ晴らしぐらいにはなるから勝ち残ってきたけど、さすがに新人でもないのに優勝しちゃったら大会の趣旨に反するから
最後には勝ちは新人に譲ってやったわけで。オレがいなけりゃここの三人が一、二、三位だよ」
……確かに言われてみればカルラの言う通りだ。カルラには勝ちたい理由もなかったわけだ。でも。
「……オレは勝にしろ負けるにしろ本気でカルラとぶつかり合いたいと思っていたのに、カルラにとっては相手をする気さえ
起きなかったのかと……思うと……」
イカン。泣いてしまいそうだ。カルラがこっちをジロジロ見てくるので、オレは涙目をそらした。
「ねえ、勝ちを譲ってやった理由、本当に分かってないの?」
「理由って……?」
「だから、おまえには負けたって言ってんの。相手してやってもいいと思うから勝たせてやったのに」
え……?オレは慌ててカルラの顔を見た。カルラがちょっと優しくこっちを見てる。
「あの……え?相手って……」
「まあ奴隷とまでは言わないけどさ、何でも言う事を聞いてくれる都合のいい男としてなら、そばに置いてやってもいいって言ってるの」
カルラのこの言葉を聞いて、涼介が会話に入ってきた。
「カルラちゃんあんなに無理って言ってたのに、どーゆー心境の変化かな?」 少し恥ずかし気に目を伏せてカルラが答える。
「まあ……イロイロあるけど、全然付き合った事のないタイプの男だから、ちょっと食わずギライしないで試してみてもいいかなーって
思ったのと、なんか義央このままだとタチの悪いストーカー化しそうな気配もあるから、いっそそばに置いて、イヤになって逃げだすまで
こき使ってやった方があとくされが無さそうかなーって思ったのと、それに……義央の事、少しぐらいは好きなトコロもあるし、
どうせ今帰ったって一人になるだけだし……」
「あの、オレの好きなトコロって……どこ?」
聞かずにはいられまい。カルラはさらに恥じらうように目を閉じて両手で口元を覆って言った。
「いいカラダしているトコロと、思いのほか……大きかったから」
カラダ目当てかよ!?……と思ったが、カラダだけでもカルラに気に入ってもらえたのだからここは良しとしよう、と思い直した。
「イヤになって逃げだすまでこき使う」というセリフの方は聞かなかった事にした。カルラがオレの方を真っ直ぐ見つめて、言った。
「オレはトータルで義央のことは好きでもキライでもない。……それでもオレに尽くしてくれる?」
そんな見つめられてそんな事を言われてみるみる赤面するオレ。
「もちろん、オレはカルラのそばにいられるなら何でも……あ、イヤ空を飛べとかそーゆー実行不能な事は無理だけど、出来る事なら
何でもするよ。カルラが……好きだから」
「じゃあ……キスして」
そう言って目を閉じ、少し上を向くカルラ。……正直カナリ恥ずかしかったけど、遠慮がちにそっと唇を重ねた。
目を開けたカルラが不満気に言った。
「もー、そんな軽いのじゃなくって、もっと気持ちを込めて濃厚に、ハイもう一回」
もう一度目を閉じるカルラ。オレはチラッと蓮と涼介の方を見てみたら、いつの間にか二人は気を利かせて離れたところに行っていた。
どうやって気持ちを込めたらいいのかよくわからなかったが、とにかくカルラの体を抱き寄せて、今度はしっかりキスする。
するとカルラがオレの首に腕を回してきた。
……少し離れた蓮と涼介の会話。
「なんかアレはキスシーンというより、肉食獣の捕食シーンを見てるみてぇだな」
「まあ食われる方がそれを望んでるんだから、イイんじゃない?」
「あ、もう時間だ。今日はこれからオーナーに手切れ金せしめに行かなきゃなんないんだよ。あと、仕事道具の返却も」
カルラがそう言うと、涼介が寄ってきて言った。
「ねーボクもついてっていい?どうなるか興味あるし」
「んー、まあいいけど。義央もついておいで。しみったれた事言って来たら一暴れするから」
「うん、わかった」
「おいおい、それならオレも行って見届けるぜ、いいよな」
「いいよ、タクシーで行くから四人までなら」
結局四人で移動した。ついたのは雑居ビルのようだった。カルラの後ろを付いて歩き、一室に入った。中にはカルラと同じ黒スーツの男、
もっともカルラよりは様になっているイカツい男たちが五人ほどいた。あの写真で見たオーナーらしき男は見当たらない。カルラが涼介をグイと引き寄せて
「ハイ、コレがスパイ」
と言って黒スーツの男たちに差し出した。涼介は隣の部屋に連れていかれ、カルラを含めた黒スーツたちはバタバタと動き出していた。
何が何だか分からず、オレと蓮は茫然と突っ立っていた。
しばらくすると涼介が隣の部屋から出てきた。特にケガなどはしていない。このタイミングでようやくオレたちは室内のソファに案内されて
そこに座り、コーヒーが出された。涼介の分もあった。
「えっと……あの、どーゆーコト?」
多分マヌケ面をひっさげて、マヌケに問うオレ。カルラが答える。
「うん。これがオレの最後の仕事。オーナーはなんかゴタゴタあって今身を隠しているんだが、居所を探ってる奴がどうもオレに
目をつけたらしい。雑誌に撮られたのがまずかったかなあ」
「ああ……あの雑誌」
カルラがオーナーに寄り添っている写真を思い出し、オーナーにちょっとムカッときた。
「だからオレを切る事は決まったんだが、多分スパイがオレに近づいてくるだろうからそれを見つけて捕まえて、敵とつながりのある奴だったら
情報を吐き出させろってんだけど、多分金で雇われただけの奴だろうからその時はさっさと解放してよし、だってさ」
「そうか、涼介がその金で雇われたスパイってわけか」
蓮がやっと分かったって顔でそう言った。オレなんかまだ呑み込めていない。涼介が頭をかきながら言った。
「ボクは探偵事務所の一員でね。まあいろんな所に入り込んでスパイみたいな事をするのが主な仕事なんだけど。でも今回は
カルラちゃんにバレちゃって、完全に失敗」
蓮が少し考えながら言った。
「オマエみたいな目立つ外見で探偵が務まるのか?」
「場合によるよ。事務所には地味な人もいるし。ボクの場合は外国人観光客のフリをしたり、不良少年になりすましたり、そーゆー
シチュエーションの時にはボクが出るの。今回の格闘大会なんてのも、地味な中年オジサンじゃあ入り込めないからボクの仕事になったんだよ」
「で、涼ちゃんから得られる情報はなにも無さそうだってんで、アッサリ解放したわけだ」
カルラが説明を付け加えた。オレは考えながら涼介に言った。
「じゃあ、オレや蓮と友だちになったのも仕事のため?友だちのフリをしていたってコトか?」
「ガキみてぇな事いってんじゃねーよ」
呆れてカルラが言った。涼介が続けて言う。
「いや、あの場面だったら気の合いそうな相手と友だちになるのが自然だと思うからそうしたんだよ。確かにあの場所に行ったのは
仕事のためだったけど、義央ちゃんや蓮タンと知り合ったのは仕事とはあんまり関係ないし」
「でも涼ちゃん、義央がオレにこだわりだして都合がいいとは思ったろ?オレからアレコレ聞き出そうとするのが自然に見えるから」
「でもそれ涼介の方は狙ったわけじゃなくて、たまたまだろう?このバカがカルラに引っかかるのは読めねえじゃねーか」
「だからボク、仕事終わった今もみんなの事、友だちだと思ってるよ。ここでお別れなんてしたくないって思ってる」
「うん……だったらいいや」
利用されているのかと思ったが、そうとばかりも言えないようなのでオレも納得する事にした。
「で、さあ……カルラちゃん、ボクの事いつから怪しんでたの?」
「うーん……一日目のロッカールームで会った時、かな」
「そんな最初から?ボクそんなドジ踏んでた?」
「ホラあの時さ、まわりの男たちがオレの体をジロジロ見てて、オレはまわりを見ないように気を付けてはいたけど見られる方には
気を付けていなかったから、ちょっと恥ずかしいとは思ったんだけど、あの時涼ちゃんだけは普通に話しかけてきただろう?でもあの時
あのロッカールームでは、オレの体をジロジロと、あるいはチラチラと見る事こそが普通の行動だったんだ。涼ちゃんは、普通に自然に
ふるまおうとしたためにそれがかえって不自然になってしまったんだ」
「……そうか。あの時は、普通にふるまってちゃダメだったか……」
「それでも一応ね、他の男も疑ってはみたよ。義央はあんまりあからさまに怪しいけど、かえってそれが狙いなのかと思ってみたり、
蓮が目立たずひっそり探ってきてるかもと思ったり……でも今日さ、オーナーに会いに行くって言ったら涼ちゃんが真っ先について行くって
言ったから、やっぱりコレだなと。ちなみに今日ここにオーナーは居ない」
「まあボクは報酬を貰い損ねることになるけど、楽しかったからいいや」
まわりにいた黒スーツの一人が何やら封筒をカルラに手渡す。
「ホラ、これはオーナーから、仕事料と手切れ金だ」 かなり厚みのある封筒の中をチラッと見て、カルラは内ポケットにそれをしまった。
「しみったれた事言って来たら一暴れしてやろうかと思ってたけど、まあこのぐらいなら納得してやるよ」
そう言ってスーツケースを一つ差し出した。黒スーツが中を確認して確かに、と言った。
「そういえばあの家はどうなるの?」
カルラが聞いて黒スーツが答える。
「あれはおまえの物になっているから好きにしていいとの事だ」
「アラ太っ腹」
「あれは元々秘密の隠れ家として用意されたものだが、あの場所を知っているおまえを切ったらもう秘密は守れなくなるから
使い道もなくなる。だからレヴィン、おまえが受け取れ」
「ん、一応お礼は言っといて」
その後しばらく黒スーツたちが、レヴィンがいなくなると寂しくなるななどと言って名残を惜しんでいた。それよりちょっと気になったので
オレはカルラに聞いてみた。
「あの、レヴィンってなに?」
「ん?ああ、仕事ではそう呼ばれてんの。オレのフルネームはレヴィンスカ加流良」
メモ書きして示してくれた。……カルラってこーゆー字を書くのか。今まで考えてもみなかった。レヴィンスカというのがどこ系の名前なのかは
分からないけど、カルラもルーツがいろいろなんだな。まあ外見からしてそうだけど。
その後雑居ビルを出てカルラがおごると言ってくれたので夕食を四人で食べ、それからカルラが貰った隠れ家だった家に行った。
静かな住宅街の中にある立派な一軒家だった。
リビングに通された。三人掛けとL字型の大きなソファが向かい合い、中央にローテーブルがある、ゆったりした空間で、隅の方に置いてある
観葉植物以外はほぼ白とグレーの部屋だった。
「そこ座って、お茶でも入れるから」
そう言ってカルラはとなりのキッチンの方へ行った。とりあえずオレと蓮、涼介は向かい合うようにソファに座った。少しするとカルラが
ティーセットを持ってきて、オレの隣に座った。そして人数分注いだお茶は、緑茶でも紅茶でもなくてなにやらハーブティー……?らしかった。
「ねえ、カルラちゃんの連絡先を知りたいんだけど……」
ハーブティーを飲みながら涼介が尋ねる。
「あ、オレ今連絡手段は一切ないんだ」
……その場に戸惑いの空気が流れる。カルラがさらに続ける。
「ボディーガードの時の連絡道具はもう返しちゃったし個人用のは持ってない、この家には電話もないし」
「え……っとじゃあ、カルラちゃんと連絡とりたいときにはどうしたら……?」
「今までの基本スタイルは、オレがいそうな所をウロウロしてみる」
「ソレはノラ猫の探し方じゃねーか」
蓮がツッコむ。
「あとは手紙とか……まあ当面は義央を置いておくから、何かあったら義央に連絡して」
「ああ、まあそーゆー事になるか。じゃあギーちゃん連絡係よろしく」
……ん?え?オレの扱いってこれからどーなるの?
「この家もともと秘密アジトだから、手下を止める部屋も多いんだよ。二人とも良かったら泊ってく?」
「え、いや……でもカルラちゃんはそれだと、その」
「オレは帰る。新婚家庭に長居するような野暮な真似はしたくねぇ」
「あっそうそう、蓮タンの言う通りだよ。だから今日は帰るよ」
「地下闘技場に案内してやるから、近いうちにまたおいでよ。オレも近々復帰予定だし」
「あっそうだね。じゃあ三日ぐらいしたらまた来ていい?」
それから何日の何時にどうとか約束が交わされた。オレはいまだに何が何だか分からず、おずおずとカルラに聞いてみた。
「えっとあの……オレはどこでどーしてたらいいんでしょう?」
カルラはちょっと苦笑いで答えた。
「もー鈍いなー義央は。何から何まで行ってやらないと分からないんだから。ま、しょーがない。それが義央の持ち味か」
すると真顔でオレを真っ直ぐ見つめて、ハッキリとこう言った。
「義央、おまえはオレが飼ってやる。今日からここがおまえの家だ。わかったな?」
……え?意味がよく呑み込めず頭の中が真っ白になった。それでもオレの立場上。
「はい」
そう言う以外の選択肢など、オレにあるハズもなかった。
そうしてオレは、カルラの飼い犬になった……らしい。
第一章 千尋の谷を転がり落ちるように恋に落ちた編・おわり