君と呼べない君を想う
第二章 心の奥のパンドラの箱1
オレがカルラの家で暮らし始めてから三日後、約束通り蓮と涼介がやってきた。涼介は「キライじゃなければ」と
買ってきたエクレアをカルラに渡すと、カルラは「甘いモノはわりとなんでも好き、お茶を入れるからみんなで食べよう」と答えて
二人をリビングに通し、「二人とも泊ってくでしょ?部屋の用意をしてくるからてきとうに過ごしてて」と言って、
オレたち三人を残し二階に上がっていった。そーすると、蓮と涼介がオレを挟むようにソファに座り、グッと顔を近づけて小声で話し始めた。
「で?義央この三日どうだった?」
「どうって言われても……」
オレは二人が帰っていった後のことを思い出す。あの夜はまずカルラが別室で服を着替えている間に、とりあえずオレは
家に連絡しなくては、と思って、さてどう言ったモノかしばし迷った末に「しばらく友だちの家の世話になる事になった」と曖昧に知らせた。
それから、ゆったりしたTシャツとハーフパンツというリラックススタイルに着替えたカルラが出てきてソファに座っていたオレのヒザに
コロンと頭をのせてきた。
「それで、ヒザの上でコロコロ甘えてくるカルラがもー反則的にかわいくって、キレイでエロい上にカワイイときたら、
もう容量オーバーでどーしていいかわかんなくて、なでるとニャンニャン甘えてきて、もう」
「……ネコの話をしているわけじゃあないよな?」
蓮がそんなことを言ってきた。そうやってしばらく甘いひと時を過ごした後、シャワー浴びるから背中流してとカルラに言われて
お互いの体を洗いっこなどしてシャワーを済ませ、それからボディミルクをぬってと言われてカルラの背中やら腕やらにぬりこんで、
それからベッドルームに連れていかれると、そこはかなり大きいベッドが置いてあり、バスルームとは別にそこにもすみの方に
小さなシャワーブースがあった。オレがシャワーがあるんだと言ったらカルラは「愛人仕様の部屋だから」とサラッと言った。
「それで?」
「それでカルラに……もっと上手になってと言われて、きたえてやるからって言われて……で、
夜は激しい特訓というかなんというか……」
「なあ。オレたちはノロケを聞かされているのか?」
「今のところ、そんなカンジがするね」
「んで翌朝は、カルラが朝ゴハン作ってくれて、キレイでおいしかったんだけど、この家には炊飯器と米がないことに
気がついて、カルラはどうやら日本的な食事習慣がないのかなと思ったんだけど、オレができればお米も食べたいって言ったら、
好きな物なんでも買ってあげるって言ってくれて」
「オマエそれ、奴隷っつーよりもヒモだな」
「ボクもそう思う」
「それで俺の着替えとか生活用品なんかもいるからってカルラと買い物に行ったんだけど、外歩きながらカルラが何度もキスを
要求してきて、それがすごく恥ずかしかったんだけど、何でも言う事を聞くと言った以上オレはやるしかないわけで……」
「カルラちゃん目立つから注目されたでしょう?」
「身長百八十越えの男二人がイチャイチャしながら歩いてたらそうでなくても目立つだろうに」
「でもオレ、頑張ったよ。まあ、目立ってるのはオレじゃなくてカルラの方で、オレはただの添え物だからとまあそう考えればなんとか」
ここで蓮が身を引いて座り直した。
「なんだよ、ひどい扱いを受けてもう逃げたいとかいうなら手引きをしなきゃなんねーかと思っていたが、
今のところノロケてばっかじゃねーか。心配して損した」
「イヤ、オレだってそう思ったよ。あんまりカルラが優しくしてくれるもんだから、好きでもキライでもないって言われたのを
忘れそうになるというか忘れたくなるというか……だからオレゆうべ確認してみたんだ」
「なんて?」
「カルラにこう言ってみた。オレはカルラが好き、会ったばかりの頃より今の方がもっともっと好き、
……たとえカルラがオレを好きじゃなくても、って」
「それで、カルラちゃんはなんて?」
「よくその事をおぼえていたなーエライエライ。ちょっとやさしくするとすぐ愛されてるとカンちがいする男も多いんだから」
オレはそう言われた時のカルラの口調をマネして言った。それからふつうの口調に戻って、
「イヤまあオレだってカンちがいしたい気持ちはあったけど……で、カルラにとってはオレってなんなの?って
きいてみたら……恋人ゴッコの相手役、だってさ」
「なるほど……カルラにとってはままごと遊びか」
「うん……それがどーにも切なくて」 蓮がじっとりした目でこっちを見た。
「わがままばっか言ってんじゃねーよ。奴隷でいいからとムリヤリ食い下がってその上カルラとイチャイチャしまくっているクセに何が不満だ?」
「イヤッ不満じゃないよ。うれしいし幸せではあるんだよ。ただ……時々カルラはそうやって、オレの事なんてどうでもいいって
突き放してくるから、オレは恋の甘〜い喜びと恋の張り裂けるような切なさをいっぺんに味あわされているわけで、
なんかもう心がまっぷたつになりそう」
泣きたいのか笑いたいのか自分でも分からなくなってくる。
「あんがいカルラちゃん、そうやってギーちゃんをふりまわして楽しんでるのかもよ」
「やっぱドSじゃねーかアイツ」
「でもそうやって楽しんでるなら、ギーちゃんの事キライじゃないってコトだよね」
「うん……カルラがちょっとでもオレの事好きになってくれるよう、オレめげずにがんばる」
「今だってカルラちゃん、ギーちゃんがカルラちゃん抜きでボクらと話したいこともあるだろうからと、わざと席を外したんだよ多分」
「そういやそうか。部屋の用意なんてもっと遅い時間でも十分だしそんな時間かかるとも思えねえしな。
まあ愛人なんて気が利かなきゃできねえモンだろうからな」
「愛人はもうやめたんだから言わなくていいじゃないか」
カルラを愛人呼ばわりされるとやっぱりムカッとするので、オレは話題を変えることにした。
「そーいえばカルラが、オレの着替えとか下着なんかもいろいろ買ってくれてさ、好きなのを着てって言われたんだけど……
その下着がちょっと、なんというか」
「なーに?カルラちゃんチョイスの下着ってデザインが派手とか?」
「だから、いろいろで……シンプルで着心地のいいボクサーやら、やたら色ツヤのいいほっそいビキニやら、ほぼヒモ状のTバックやら……」
「さてはオマエ、シンプルな奴に逃げてるな」
「イヤ、オレだって分かってるよ。カルラが入れにそーゆーのも着てほしいと思って選んだんだろうって事は。だけど……
やっぱりまだ恥ずかしいっていうか、ちょっと抵抗が……」
話してて顔がだいぶ熱くなってきた。多分かなり赤面してる。
「でもカルラちゃんがはいてるヤツなんてけっこうきわどかったし、バランスを考えたらギーちゃんもやっぱり
ソコソコ攻めたデザインのを選んだ方が、カップルバランスはとれる気がするね」
オレは赤面したまま頭を抱えて深いため息をつき、そして言った。
「カルラの下着の入ったタンスの引き出しも見たけど……ドコのダレがナニを考えてあんな男物のパンツを作ったのかっていう
スケスケスッカスカのエロ下着が山のようにあって……あれに合わせろって言われたらオレは果たして耐えられるかどうか」
蓮と涼介はしばし無言になった。デザインを想像しているのかもしれない。その静かになったタイミングでとなりのキッチンから
カルラがティーセットを持って入ってきた。今日は紅茶だった。蓮と涼介はオレのとなりから向かいのソファにうつり、
カルラがオレの左どなりに座ってお茶を注ぎ、涼介の持ってきたエクレアを出した。
「ねー知ってる?エクレアってチョコの方を下にして食べるのが正しい食べ方なんだってよ」
涼介がナゾの知識を披露する。
「へーえ、知らなかった。じゃあ正しく食べてみるね……こう?」
エクレアを手に持ち一口食べるカルラを見て……オレはそっと目をそらした。すると向かいの蓮がポツリとつぶやいた。
「……なんかエロいな」
「コラー蓮!!そーゆー事言うなよ!ヘンな事考えないようにがんばってたのに!!」
「イヤそれオマエもエロいと思って見てたって事じゃねーか」
そんなオレと蓮のやりとりを見て、涼介とカルラが顔を寄せて言った。
「あんな事言ってる。男ってやだねーカルラちゃん」
「ねーえ、頭の中はエロい事ばっかり」
「オマエらだって男だろーが」 蓮が一応つっこんでおく。
「つーか涼介、オマエなんでよりによってエクレアなんてえらんだんだよ」
「そーは言うけど蓮タン。よーく考えてみなよ、プリンだろうがショートケーキだろうが水ようかんだろうが、
何を食べてもカルラちゃんだったら多分エロくなるよ」
少し想像してから、確かにそうだなと蓮は納得した。じっさいカルラは何食ってもエロいと言えばエロくなるので、
オレもあまりジロジロ見ないようにしてはいるんだが、チラとカルラの方を見ると唇の端にクリームが付いてた。
なんか変なとこで子どもっぽいというか、油断もスキもあるというか……
「カルラ、くちにクリームついてるよ」
オレがそう言うとカルラはこっちを向いて、少し上を向き目を閉じて言った。
「義央、なめて」
しまった、こーゆー展開があったか。だがオレだってこの三日こんな場面は何度も経験しているので、蓮と涼介の見てる前だからって
今さらためらったりはしない。カルラの唇の端についたクリームを、オレはやさしくなめとった。……メチャクチャ恥ずかしかったけど。
その様子を見てた蓮が一言。
「だいぶ調教されてるな」
「いやーまだまだしつけが甘くって」
カルラがこたえた。
「ギーちゃんはカルラちゃんの事捨て猫みたいだって言ってたけどねぇ」
「捨て猫を拾った話はたまに聞くが、捨て猫に拾われた男の話というのは珍しいよな」
涼介と蓮がそんな事を言う。
「それを言うならオレだって捨て犬を拾った気分だよ。通りすがりにちょっとなでてやったらやたらなついてきちゃって
どこまでもついて来るから仕方なく家に連れて帰ったバカ犬みたいな感じで」
カルラがそう言った。オレってバカ犬?蓮がそれに続いて言った。
「それは……たとえにする意味ねーな」
「なんだか時々、義央がシッポをバサバサふってるのが見えるような気がするんだけど……気のせい?」
「え、カルラにはオレにシッポがあるように見えてるの?」
「だって茶色の毛並みの大型犬だろう?マスティフ系かな?」
「いや国産のミックス犬……って犬じゃなくて!ってゆーか……犬と思うなら捨てないでほしい」
カルラは、まあ当分は面倒見てやるよと言って、そろそろ出かけるから着替えてくると言って立ち上がった。
カルラが別室で着替えている間に涼介が一言。
「どんなパンツはいて来るんだろうね」
「イヤその話むしかえすなよ!!」
「だって気になるじゃん。普段どんなのはいてるか」
涼介は探偵なんかやってるせいか良く言えば好奇心旺盛、悪く言えばヤジ馬すぎる所がある。
「イヤ、カルラにどんなのはいてほしい?って聞かれたからオレは、あんまりキワどいのは引いちゃうから、
できればカワイイ感じのにして欲しいって言ったら、とりあえず極端なデザインの奴は奥にしまい込んでくれたんで……
今はなんかヒョウ柄のビキニパンツとか紫のTバックとか、そんな感じのになってる」
「それ、カワイイのか?」
蓮が聞いてくる。
「奥にしまい込んだのに比べれば、はるかにカワイイよ。なにより、ちゃんと布でできてる」
「……そうか、分かった」
蓮も察してくれたようだ。着替えたカルラが出てきた。上下とも黒づくめで、黒い細身のシャツはやけにツヤがあった。ああ多分これが
ヴァンプのスタイルなんだろう。ボディーガードにやとわれて一年ほど地下から遠ざかっていたが、今日からまたヴァンプとして地下に舞い戻るんだ。
そうして地下ファイターのヴァンプは新人のオレたち三人を連れて闘技場へ向かった。ちなみに電車移動だ。数駅だった。
歓楽街の片隅の、一見バーのような店の中央にステージというかリングというのか、戦う場所がしつらえてあって、
客は飲食しながら試合を楽しみ良い試合にはおひねりを出すといった、ショーパブみたいな所だ、とカルラは説明した。
もっともオレはショーパブ自体知らないけど。地下闘技場という物々しい呼び名のイメージと違って
もちろん実際は地下ではないし、違法なこともなく(水面下では掛け金が動いているらしいが
それは店とは直接は関係ないらしい)格闘をショーとして見せるステージのついた飲食店といった感じの、
いたって健全な印象の所だった。まだ開店前のせいかもしれないけど。「ヴァルハラ」と書かれたカンバンをくぐり
中に入ったオレたちは、カルラの後ろについていき支配人という人に会った。支配人は小柄な年配の男性だ。
選手登録の説明を受けたが、ザックリ言うと最初は番号だけが与えられた見習いからスタートで、
早い時間に見習い同士で戦い勝てばお金がもらえる。人気や実力が十分あると見なされれば支配人から通り名をつけられて、
通り名のある者同士で戦えるようになり勝ってもらえるお金も多くなる。細かい決まりなどいろいろあったがとりあえずそんな感じだ。
大会上位のオレたちは通り名が付くのは早いだろうとの事だった。カルラの通り名は正しくは「ヴァンパイア・ヴァンプ」で、
これは以前なんとかヴァンプとかいう女性ファイターがいたから区別するためだったのだが、今はその女性ファイターが引退したため
カルラがヴァンプとだけでも呼ばれるようになったのだそうだ。今もカルラの選手としての名はV・ヴァンプと表記されているらしい。
とりあえず名前をもらうまではカルラとは戦えないという事はわかった。この店にせっせと通って試合をしたり他の試合を見たりして、
まずはいろんな事を身に着けてほしいとの事。 一通りの説明を済ませると、支配人がカルラに軽い口ぶりで話しかけた。
「ヴァンプは今でも人気があるからな、ヴァンプだけが目当ての固定客も多いんで帰ってきてくれてよかった」
「新しいスターが育ってないの?それは問題だな」
「ヴァンプみてーなタイプは他にいねーよ。ああ、おまえさんが十六歳でここにきてちょうど十年になるか。この十年おまえさんは
メインの人気選手ではなかったが、異彩を放つオンリーワンではあったよ。ところで……」
支配人がオレと蓮、涼介の顔をサッと見てからカルラにこう言った。
「若い男を三人もはべらせているとは、相変わらずお盛んなこって」
「やだ違うよ。こっちの二人は単なる友だち。オレだって連れてる男ぜんぶと関係を持ってるわけじゃあないよ」
今日は登録だけすませて店を出た。これからひんぱんにここに通うことになるだろう。それからカルラが別の所にも用があるというので
ついて行った。あるビルの一フロアの「ヘヴンズゲート」というカンバンの派手な店につく。オレはこういう店にうといのでよく分からないのだが
涼介が「ここホストクラブじゃないの?」と言ったらカルラが「ここにも長いこと勤めているから」と言って入り口から店の奥の方の控え室のような所へ行き、
オレたちをはしのソファに座らせると店長らしき年齢不詳のチャラい男とまた店で働きたいというような話をして、それからこっちに来て座って
一息ついた。オレはどうしても気になってカルラにこう言ってみた。
「男好きヴァンプがホストクラブ?」
「あ、やっぱり義央も変だって思った?この店は店長にスカウトされてね。十九のころだった。ちょっと路上でケンカしてたところを
あの店長が見ててさ、そのキレイな顔ケンカでキズつけてはもったいない、どうせなら女性客に札ビラでたたかせろって言って
この店に連れてこられたんだけど……最初のうちはね、やっぱイロイロ問題もあったよ」
「……モンダイというと、どーゆー?」
「……だからオレ、男が好きで女はからっきし苦手だから、はじめのうちは女性客にさわられて悲鳴上げて逃げ出したりしたことも……」
「それでどーやってホストがつとまるんだ?」
たまらず蓮がそうたずねる。
「まあある程度は慣れだけど、そのうちオレの男好き、女嫌いが客にも知られるようになると、ベタベタしてくる客は減ってきて、
だんだん指名が増えてきた」
「あれ?女嫌いで指名増えるの?」
きいたのは涼介だ。
「ホストクラブに来る客もね、やたら口説いてくるホストはイヤだって客もいるし、なんかオレだと安心感があるだとか、恋バナを聞きたいだとか、
ただオレの顔を見ながら飲みたいとか、そういう客が増えてきて……まあオレの場合、三割ぐらいは男性客だが」
「ホストクラブに男性客っているんだ」
オレの知らない世界なので素直に思ったことが口から出た。
「他ではどうか知らないけど、オレには男性客もいるよ」
「そーするとカルラちゃん、闘技場とこっちの店と両方やってたの?」
「うん、どっちも毎日ではないし。接客でたまったウサを一暴れして晴らしたりして、ちょうどいいリズムなんで」
それからなにか一仕事済ませた店長が戻ってきて、カルラが店に出る日の打合せなどを済ませて店を出ようと立ち上がると
店長がオレたちを見て一言。
「カルラって今彼氏三人もつれているのか?」
「やーだ違うったら。こっちの二人は友だち」
蓮がボソッと言う。
「……もしかして行くさきざきでこのやりとりしなきゃなんねーのか?」
「どうやらそうみたいだね」
涼介が答えた。
……でもカルラ、オレのことは別に否定はしてないんだよな。「これは奴隷」とか「ただの飼い犬」とは言ってない。オレの事、
世間的には彼氏扱いでいいのかな?まあ……カルラがいいんならいいけど。あ、でもこれで「カン違いするなよ」とか言ってきたりするから、
思い上がったりしないようには気を付けよう。
それからもう一か所行くというカルラについて歩いていくと「シャングリラ」というケバケバしいピンク色に染まった店の奥に入って行く。
涼介が小声で「大人の店だ」と言った。下着姿の女性の写真が壁に並んでいて、いくら疎くてもどーゆー店かオレにだって想像はついた。
どう考えてもカルラは客でも店員でもなさそうなんだが……カルラに続いて奥の扉を入ると、鏡や化粧台のある控え室、そのさらに奥は
住居スペースになっているようで、生活感が奥からじんわりにじみ出ていた。そこには、若くはないと思うが年齢の分からないドレス姿の女性がいて、
カルラを見ると少し驚いて「まあカルラ、帰ってきたの?」と言った。
「いろいろあって出戻ってきちゃった。でも手切れ金と住む家はせしめたから。ハイ、これはママへの仕送り」
そう言ってカルラが女性に手渡した分厚い封筒は、この前手切れ金として黒スーツの男から受け取ったほぼそのまんまのようだった。
まあすごい、助かるわと言って受け取った女性はそれからオレたち三人を見て言った。
「このコたち、カルラの新しい彼氏?……じゃあなさそうね。あんたの好みからすると若くて可愛すぎるもの」
「さすがにママにはわかっちゃうか。これが蓮、こっちが涼介、この二人は友だちね。これが義央で今ちょっとためしに飼ってみている所」
カルラはそう説明した。確かにその通りだけど。やっぱりそうなのか。つづいてカルラはオレたちに女性を紹介する。
「こちらはシャングリラ乃オーナーのすみれママ。オレが長年世話になった人で、それでこの店がオレの生まれた所。実家みたいなものだよ」
サラリと言ったが、カルラの顔を見ると表情が消えている。心の動きを悟られないようにしている時のカルラの顔だ。多分今、その手は
氷のように冷たくふるえている。お茶でも入れるから適当に座ってと言ってカルラは奥のドアの方へ行った。とりあえずオレたちは
端のほうのイスに座った。すみれママが珍しげにこちらを見て言った。
「カルラが友だちを連れてくるなんて、はじめてじゃないかしらね」
「あの、じゃあ彼氏は連れてきた事があるんですか?」
どうしても気になったのでオレは聞いてみた。
「まあ時々ね。もっとも、二度同じ男が来た事はなかったけど」
……やっぱりカルラが男をとっかえひっかえしていた過去は事実なんだ。……イヤ、大切なのは今とこれから。カルラが紅茶を持ってきた。
そして少し長い話をするから聞いてほしい、といって静かに話し始めた。
「その昔、オレの母親はこの店で働いていて、それからここでオレを生んだんだ。父親は誰だか分からない。母はタイ人だと言っていたらしいが、
純アジア人から金髪の子が生まれるとは考えにくいから、まあ父親が白人だったとしても母も混血ではあったのだと思う」
すみれママが、お店で使っていた写真があるわよと言ってゴソゴソと引き出しを探って、一枚の写真をオレたちに見せてくれた。
店用なのでランジェリー姿なのが困りものだが、その写真の中の女性はまっすぐな長い黒髪の、切れ長の目にほっそりした顔立ちで、
まさしくカルラを女性にしたような感じの人だった。これがカルラのお母さんか。
「……で、その母はオレが五才の時に亡くなった。オレはそれからしばらくはこの店で寝泊まりしていた。当時ここで働いていた
すみれママにもずいぶん世話になった」
……ん、という事はすみれママはカルラの母親ぐらいの年って事か。ちょっとすみれママの顔を見る。化粧が濃いせいもあるが、
やっぱり年齢はよく分からない。
「それから近所の親しくなった人、おもに水商売のおねーさんたちの家に上がり込んでごはん食べさせてもらって寝るというような、
ノラネコそのものの生活をおくってきた」
……なんてこった。本当にノラネコ生活していたとは。
「だからオレは書類上はいない人間、住所もないし学校に行った事もない。そう思って生きてきたんだけど」
サラリと重い事を言うカルラ。イヤ、わざとサラリと言っているのか。
「ただ、オレが十六の時ちょっとしたケーサツ沙汰のゴタゴタがあって、まあその時付き合ってた男が悪い事してたってんだけど、
その時会った弁護士によれば、オレ戸籍と国籍はちゃんとあったらしい。母親がどーしてたのかそれは分からないけど……ってか、
タイ人の母で息子に日本国籍があるって事は、日本人と結婚していたってコトになるハズなんだけど、そのヘンどーしたのか……まあ
とにかく幸いオレは国籍と戸籍は手に入れていたわけだ」
……オレは国籍があって幸いだとか考えた事もない。学校に行けないと想像した事もない。……カルラはオレが当たり前に手にしている
いろんなモノゴトを手にするのがどれだけ大変だったのだろう。住所さえないんだ。オレは胸の奥がザワザワして、どうにも痛くなってきた。
「多分、生まれた息子が金髪だったから母の結婚もダメになったんだよね。……黒髪だったらもう少しうまくいってたのかな……?」
少しうつむいてそう言うカルラ。カルラは何も悪くないのに。
「あ、それで十六の時初めて病院に行った。なんかいろいろ必要があるとかでしばらく通ったけど、そのころ路上のケンカから
闘技場での試合に活動の場が変わってきてたから、まあ少しはお金ももらえるようになったし。それからホストクラブは
一応アパートの一室の二段ベッドの下一つだけど住む所を用意してくれたし、今は家をもらったから住所もあるし。読み書きはこの近所に
本好きの兄さんが住んでて仲良くなったから、その人にずいぶん教わった。たくさんの本からいろんな事を学んだ」
ここで言葉を切ってこっちを見たカルラが、顔をしかめて言った。
「義央、なんで泣いてるの?」
「え?オレ泣いてる?」
「もう……気づいてないのかよ」
たしかに涙がこぼれていた。オレの中でなにかがこみ上げてきて、いつの間にかあふれてしまったようだ。
その時奥のドアから、少々だらしない恰好のわりと若いであろう女性が三人出てきて、カルラを見て声をかけた。
「アレー!?カルラ久しぶりー元気だった?」
「そろそろ戻ってくると思ってたらやっぱりねー」
「ちゃんとゴハン食べてる?ちっとも太らないわねーあんたって」
わらわらとカルラを取り囲んで笑顔でカルラに話しかける。このお店の女性たちなんだろう。まだ化粧せず髪もボサボサだが、
ランジェリー姿をしている。カルラは一人の女性の胸を無造作にさわって一言。
「あれ?豊胸した?」
「わかる〜?この前ちょっとフトコロに余裕ができたからちょっとね」
「もーなんでみんなすぐ大きくしちゃうのかなあ。オレ大きいの好きじゃないのに」
「そりゃあんたはそうでしょうけど、どーせあんたは客になんないでしょ」
女性たちとキャイキャイ話していると、バタバタと表ドアから入ってきた人がいた。
「ちょっと〜カルラが帰ってきてるって本当〜!?」
入ってきたのはイカツい筋肉質の体をドレスと化粧で包んだ、体は男だけどおねーさんと呼ぶべきだろう人だった。
「んもー、カルラあいかわらずキレイね。整形も化粧もしないでなんでそんなにキレイなのよもー憎らしい」
カルラの体をポンポンさわりながらそんな事を言った。確かにこの人の方がカルラよりはるかに男性的だ。
「あ、この人はねえ、ちょっと向うにあるニューハーフバー『ねはん』の聖子ママ。『ねはん』はヴァルハラに近いから
地下ファイターがよく行ってるんで、義央たちも行くことがあると思うよ」
「アラ、カルラの新しい彼氏?カワイイコじゃない。若くてカワイイコは大歓迎よ」
ニコニコあいさつしてくれた聖子ママ。店の三人の女性たちが、アタシたちは紹介してくれないのと言い出したが、カルラがこのお店には
義央は絶対行かせないからいいの、と言ってオレを女性たちから遠ざけた。蓮と涼介ははじっこの方ですでに気配を消していた。
すみれママが仕事の準備をなさいと言ったので女性たちは化粧を始めた。聖子ママがカルラを捕まえて言う。
「アタシいつかアンタにうちの店に来てもらいたいと思っていたのに、まさかホストクラブにとられるなんて思ってもみなくて、悔しかったわよ本当に」
「いやオレおネーさんやる気はまったくないから。身も心も男だから」
聖子ママはカルラがホストやる前からカルラの事は知ってたんだ。という事は……
「あの、カルラとは付き合い長いんですか?」
オレは聖子ママに聞いてみた。カルラの事なら何でも聞きたい。
「そうよ、カルラがノラネコみたいにその辺うろついていたころから、ごはん食べさせたりしてたんだから。このコが男が好きらしい事だって
ちゃんとお見通しだったのよ。だからゆくゆくはうちの店に……」
「だからオレ女やる気はねえって言ってんだろ」
カルラがクギを刺す。
「なによ、チョン切ったみたいな顔してるクセに」
「いやどんな顔だよそれ」
聖子ママが本当に切ってないわよねとカルラの体をやたらさわって確かめ始めたので、どうしようかと目のやり場に困ってあたりを見回すと、
すみの方に十さいぐらいの女の子と五さいぐらいの男の子がいた。居住スペースの方からこちらの様子をうかがっている。
……多分カルラと同じで、ここで生まれた子たちだ。そう思うと気になって近づいて声をかけてみた。
「えっと……ここの子?なまえは?」
気の強そうな女の子が答えた。
「会ったばかりの男に声かけられて相手するほど軽い女じゃないんだからね」
そう言って男の子を引っ張って奥に引っ込んでしまった。まあそりゃヘンな男もこーゆー店では多いだろうから、必要な用心ではあるだろうけど。
でもなんかほっとけない感じだ。小さい頃のカルラを見ているような気持になっているせいだろうか。なんとかもう少し打ち解けたい。
時間をかけて何度も会えばなんとかなるかな?幼女をナンパしてるんじゃねえと蓮に人聞きの悪い事を言われてオレはカルラ一筋だと答えてやった。
そしてカルラの方を見ると、みんなの中心にカルラがいた。カルラの周りに人の輪がある。それを見てオレは、ああここはカルラの実家なんだと
心からそう思った。泊っていくかという聖子ママのさそいに、今は家があるから大丈夫とカルラが答えて店を出た。
街を歩きながら、オレはカルラにこう言った。
「あの人たちはみんなカルラの家族なんだね……いい人たちだね」
カルラは顔をふいとそむけ、オレの少し前に歩を進めながら言った。
「まあね。身寄りのないガキをよってたかって世話するような奴らだよ」
言い方がいかにもぶっきらぼうだったけど、どうもテレかくしっぽかったような気もする。
カルラがテレるような所でもない気がするので、オレの思い違いかもしれないけど。